政策本会議
第108回政策本会議
「『中国の琉球カード』をどう読むべきか?」
メモ
2025年11月25日
東アジア共同体評議会(CEAC)事務局
第108回政策本会議は、林泉忠東京大学東洋文化研究所汎アジア研究部門特任研究員を報告者に迎え、「『中国の琉球カード』をどう読むべきか?」と題して、下記1.~6.の要領で開催された。
- 日 時:2025年11月25日(火)14時より15時30分まで
- 開催方法:日本国際フォーラム会議にて対面およびZOOMウェビナーによる併用
- テーマ:「『中国の琉球カード』をどう読むべきか?」
- 報告者:林 泉忠 東京大学東洋文化研究所汎アジア研究部門特任研究員
- 出席者:68名
- 審議概要
(1)問題意識
本報告の「問題意識」は、大きく四点である。1点目は、なぜ中国(ここでは中華民国と中華人民共和国を合わせて「中国」と呼ぶ)が、琉球・沖縄に特殊な関心を抱いてきたのか、である。現在の「琉球カード」を理解するには、沖縄の歴史的背景を押さえる必要がある。2点目は、戦後、中華人民共和国と台湾の中華民国という「両岸」の政府が、沖縄の地位についてなぜ異なる認識を持つに至ったのか、である。3点目は、近年注目される「中国の琉球カード」は、いつどのように現れ、各段階でどのような狙いがあったのか、である。4点目は、中国政府は本気で「琉球の地位は未定だ」を提起する可能性があるのかないのか、である。これらについて、自身の見通しを述べていきたい。
(2)沖縄に対する関心の歴史的背景
まず、中国社会が沖縄に対してなぜ特別な関心を抱いてきたのか、その歴史的背景から見ていく。中国と琉球の関係は、およそ500年にわたる冊封・朝貢関係にさかのぼる。明・清の時代を通じて、中国皇帝が琉球王を冊封し、琉球側は朝貢を行うという関係が続いた。他の朝貢国としては朝鮮やベトナムなどがあるが、朝貢の回数に関して言えば、琉球はトップクラスであり、それだけ中国との関係が密接であったということである。
もう一つ重要なのは、福建から渡来した、いわゆる「閩人三十六姓」の存在である。彼らは那覇の久米村(現在の久米地区)に居住し、いわゆる「久米三十六姓」として、冊封・朝貢体制を支える実務を担った。現在の沖縄社会でも、その子孫はさまざまな分野で活躍しており、例えば元沖縄県知事の仲井間弘多さんなどはその一人とされている。孔子廟もまた、儒教文化を伝える重要な拠点であり、現在でも久米三十六姓の子孫による「久米崇聖会」が、孔子の誕生日に合わせた年次の祭礼を続けている。こうした長期にわたる文化・人的交流の蓄積が、中国社会における「沖縄への特別な感情」の一つの背景になっていると考えられる。
次に、いわゆる「琉球処分」についてである。1879年3月末から4月初めにかけて、日本政府は琉球王国を廃し、沖縄県を設置した。その後、同年5月には、清朝が正式に抗議し、当時のアメリカ前大統領グラントが東アジアを訪問していたこともあり、清はグラントに仲裁を依頼する。これを受けて、グラントは東京にも来て明治天皇とも会見し、琉球問題をめぐる日清交渉の仲介を試みた。その後、沖縄本島・奄美諸島・先島諸島をどう分けるかについて、いわゆる「三分割案」と「二分割案」が検討された。清側は、沖縄本島を琉球(清の勢力圏)に戻し、奄美を日本、宮古・八重山を清に割譲するという三分割案を主張したが、日本側はこれを受け入れず、琉球本島以北を日本に、宮古・八重山を清にするという二分割案を主張した。一旦二分割案に基づき双方が妥結したが、最終的に清側代表は調印の場に現れず、条約は成立しなかった。この経緯から、清朝・中華民国・中華人民共和国を通じて、歴代の多くの歴史家は「琉球問題は最終的に解決されないまま放置された懸案である」という認識を持ち続けてきた、という点が重要である。さらに、近現代の沖縄の運命である、「明治日本による一方的な併合」、「太平洋戦争における沖縄戦の甚大な犠牲」、「戦後長期にわたる米軍統治」、なども、中国や台湾の一部の人々にとって、「沖縄は重い歴史を背負った地域」というイメージを形成したり近現代沖縄の運命に対する同情をしたりする要因となった。
(3)戦後の「両岸」政府による沖縄認識
日中戦争中、中華民国(台湾)側では、蒋介石自身が、失われた領土の一つとして琉球に言及した演説を行ったことが記録されている。1940年代初頭、戦後秩序を構想する「国際問題研究会」を設け、その中で琉球の扱いも議論された。理想としては中国への復帰を求めつつも、英米の反対があれば国際機関による信託統治とし、米中の共同管理とする案も検討されたとされている。1943年のカイロ会談では、ルーズベルト大統領が蒋介石に対して、琉球列島を中国が欲するかどうかを問い、蒋介石は「米中の共同管理とし、将来は国際機関による委託統治を望む」と答えた、という記録がある。その後のカイロ宣言とポツダム宣言では、琉球の名称は明示されなかったものの、「日本の主権は本州・北海道・九州・四国および『我々が決定する諸小島』に限定される」とされ、この「我々が決定する諸小島」に沖縄が含まれるのだ、という解釈が中華民国政府内に共有された。これが、戦後も琉球の地位について「発言権がある」と主張する根拠となっている。1953年、奄美諸島がアメリカから日本に返還された際、中華民国外交部は、「琉球に対して領土主権を主張する意図はないが、琉球住民が自ら将来を選択する機会を持つべきであり、その最終処分について発言する権利と責任を留保する」という趣旨の声明を発表した。1972年の沖縄返還時にも、台湾の中華民国政府は声明を出し、カイロ宣言・ポツダム宣言に立ち返って、「琉球の最終的な帰属は主要戦勝が決定すべきである」と主張し、日米が協議なしに沖縄を日本に返還したことに「極めて不満」と表明した。ただし、ここでも「中国(中華民国)への帰属」を明示的に要求したわけではなかった。
一方、中華人民共和国側では、1949年の建国以降、毛沢東や周恩来を含む指導者たちの発言や人民日報の記事などをつうじて、沖縄を日本の一部として扱う表現が一貫して用いられてきた。例えば、毛沢東は、「日本人民の反米・愛国闘争を支持する談話」の中で、「沖縄の日本復帰運動」という言い方をしており、周恩来もサンフランシスコ講和条約草案を批判する声明の中で、「これらの島々(琉球など)は、いかなる国際条約においても日本から分離されると明確に規定されたことはない」と述べた。その後の日中国交正常化以降、中国政府は公式には一貫して、沖縄を「沖縄」と呼び、「琉球」と呼び続けてきた台湾と異なる。
(4)「琉球カード」はいつ、どのように現れたのか
では、そうした経緯の上に立って、いつ頃から「琉球の地位に疑問を呈する」言説、すなわち私の言う「琉球カード」が現れ始めたのか。大きく分けて、次の「三つの段階」がある。
(イ)第1段階:2005年前後
北京大学歴史学部の趙某徐勇教授が、外交系の雑誌『世界知識』に、琉球の地位に疑問を投げかける論考を発表した。政府の公式文書ではないが、政府系メディアに近い媒体であることから、「政府に近い学者による初めての『琉球地位未定論』」と位置づけられよう。背景には、小泉首相の靖国参拝問題など、歴史問題をめぐる対日牽制の意図があったとみられる。
(ロ)第2段階:2013年前後の「第1次琉球ブーム」
2010年の尖閣沖衝突事件、2012年の尖閣国有化を受けて日中関係が大きく悪化する中、2013年5月8日付の人民日報に、下関条約と尖閣問題を扱った論考が掲載され、その末尾で「琉球の問題も再び議論すべき時が来た」といった趣旨の一文が加えられている。これが引き金となり、中国国内で「琉球の地位」をめぐる議論が一気に盛り上がり、沖縄側でも沖縄タイムス、琉球新報が社説で批判を行うなど、「第1次琉球ブーム」が起きた。狙いは、尖閣問題をめぐる日本側の立場に対する牽制だったと考えられる。
(ハ)第3段階:2023年前後の「第2次琉球ブーム」
2021年の日米2プラス2共同声明で半世紀ぶりに「台湾」が明記され、同年12月には安倍晋三元首相が「台湾有事は日本有事であり、日米同盟の有事でもある」と述べるなど、日本の対台湾発言が強まる中、中国側の警戒感が高まった。こうした流れの延長線上で、2023年7月、習近平国家主席が国家典籍博物館を視察した際、琉球に関する古文書を前に、中国と琉球の500年にわたる冊封・朝貢関係や、福建省と沖縄との交流の経験に言及した。これが再び大きく報道され、「第2次琉球ブーム」と呼べるような言説の高まりが生じた。同時期に、玉城沖縄県知事の訪中が報じられたことも重なり、中国メディアの関心を集めた面もある。ここでの狙いは明らかに、台湾問題に関する日本の関与・発言を牽制するカードとして琉球を持ち出すことにあったとみられる。総じて述べると、2005年前後は靖国参拝など歴史問題への牽制、2013年前後は尖閣問題をめぐる対日牽制、2023年前後や最近の高市首相の「台湾有事」をめぐる発言は台湾問題をめぐる対日牽制、というように、各段階で「琉球カード」が使われる文脈は微妙に異なりつつも、いずれも日本側の行動を抑止・牽制する「カード」として琉球が言及されていると言えよう。
(5)中国政府は本気で「琉球の主権」を提起するか
では、中国政府が今後、正式に「琉球の主権」を提起する可能性はあるのか。その可能性は、以下の5つの理由から極めて低いと考えている。一点目は、「1972年の日中共同声明との整合性」である。日中国交正常化の基礎となる1972年の共同声明には、相互に領土と主権を尊重するという根本原則が明記されている。もし中国政府が正式に「琉球は日本領ではない」と主張するのであれば、この共同声明の前提を根本から覆すことになり、日中関係は決定的に悪化せざるを得ないだろう。二点目は、「国際法上、一旦認めた領土に関する立場を恣意的に変更することの困難さ」である。外交・安全保障の分野では、ある国の領土として一旦認めた地域について、政権が変わったわけでもないのに後から「やはり違う」と主張することは国際社会でほとんど認められない。中華人民共和国は長年にわたり、沖縄を日本の一部として扱ってきたため、ここで急に立場を変えることは、国際法上も政治的にも大きなコストを伴うことになる。三点目は、「沖縄社会の反発と世論の実態」である。先ほど触れたように、2013年前後の世論調査では、沖縄県民の「中国大陸に対する親近感なし」が9割近くに達しており、日本全国平均よりも高い水準であった。一方で台湾への親近感は7割程度と高い。また、自身が2007年に行った調査でも、琉球独立を支持する意見は少数派であり、6〜7割は反対、あるいは日本の一部にとどまるべきだという結果であった。沖縄社会の主流は「独立」を求めていない、という点は極めて重要であろう。こうした状況で中国政府が「琉球地位未定論」の主権を正式に主張した場合、沖縄社会の反発を招き、中国へのイメージはさらに悪化する恐れがある。四点目は、「国際社会からの支持の欠如」である。第三国は一般的に、他国間の領土問題には慎重で、明確な支持表明を避ける傾向がある。ましてや、中国政府自身がこれまで公式に琉球の地位について異議を唱えてこなかった経緯を考えると、今さら「琉球の地位は未定だ」と主張しても、それを公然と支持する国は極めて少ないと考えられる。そして五点目が「ブーメランとして中国自身に跳ね返るリスク」である。もし中国政府が「琉球の地位は未定であり、日本の主権を認めない」と正式に主張すれば、日本側からは、「では台湾・香港・チベット・新疆の地位も未定ではないか」と反撃される可能性があるだろう。1972年共同声明における「台湾は中華人民共和国の一部であるという中国側の立場を理解し尊重する」という文言や、中国が主張する「一つの中国」原則そのものが揺らぎかねない。つまり、琉球カードを公式に切れば切るほど、中国自身の主権主張にブーメランとして跳ね返るリスクがあるわけである。
以上五点から、中国政府が今後も正式に「琉球は日本のものではない」「琉球の地位は未定だ」と表明する可能性は低いと考えられる。
(6)おわりに ― 「琉球カード」の性格
もっとも、そうした公式立場とは別に、中国社会における「琉球カード」をめぐる言説は、今後も続いていくと予想される。とりわけ台湾問題をめぐって日本側の発言や関与が強まる局面では、学者やシンクタンク、半官半民のメディアなどから、「琉球の歴史的帰属」を持ち出す議論が再び活発化する可能性があるだろう。要するに、「台湾問題に日本が深く関与するならば、中国側も琉球問題を持ち出すことがあり得る」と暗に示す牽制カードとして琉球が利用されている、ということである。ただし改めて強調したいのは、これはあくまで「カード」としての言説であって、現時点で中国政府が本気で琉球の主権問題を公式に提起する意図を持っているとは言い難い、ということである。
以上
文責:事務局
