政策本会議

第106回政策本会議
「21世紀における権威主義の再興隆:
タイ軍事政権はなぜ戻ってきたのか」
メモ

2025年7月28日
東アジア共同体評議会(CEAC)事務局


報告のようす

第106回政策本会議は、外山文子筑波大学人文社会系准教授を報告者に迎え、「21世紀における権威主義の再興隆:タイ軍事政権はなぜ戻ってきたのか」と題して、下記1.~6.の要領で開催された。


  1. 日 時:2025年7月28日(月)16時より17時30分まで
  2. 開催方法:日本国際フォーラム会議にて対面およびZOOMウェビナーによる併用
  3. テーマ:「21世紀における権威主義の再興隆:タイ軍事政権はなぜ戻ってきたのか」
  4. 報告者:外山 文子 筑波大学人文社会系准教授
  5. 出席者:44名
  6. 審議概要

(1)世界の民主主義の状況

21世紀に入ってから、世界各国で民主主義の後退が問題になっている。冷戦終結後の1990年代は、「民主主義」「人権保護」「汚職撲滅」「良き統治(グッドガバナンス)」が普遍的価値観として世界に浸透した。

しかし、フリーダムハウスのスコアによると、2005年に89カ国が「自由」に区分されたことをピークに、以降その数は減少し、現在では「自由」に区分される国が、そうでない国よりも少なくなっている。特に中国の政治的な影響力が上がりつつあった2006年を境として、「自由」のスコアが前年から改善した国よりも、悪化した国の方が多くなっている。

このような流れの中、21世紀の民主主義への最大の脅威は「強権政治指導者(ストロングマン)」の登場である。21世紀におけるストロングマンは、過去にみられた軍事政権の独裁者のようなストロングマンとは異なる特徴をもっている。

一つには、ストロングマンの登場が権威主義体制のみならず民主主義体制、新興国だけでなく先進国でもみられる現象となっていることである。例えば、米国のトランプ大統領の登場もその事例といえる。

二つには、20世紀の独裁者と違って、多くが民意を反映して、例えば選挙によって選ばれていることが多いということである。また、独裁的支配を正当化する論理も異なっている。例えば冷戦期の東南アジアの独裁者は、「開発」や「反共主義」を自らの支配の正当性の根拠にした。しかし現在の新興国のストロングマンは、90年代以降に民主化を支える価値観として進められた「法の支配」や「グッドガバナンス」を、政権奪取の大義名分に利用している。

日本がカンボジアに対して行ったように、90年代に国際機関やドナー国となる先進国は、「法の支配」や「グッドガバナンス」の価値を新興国に推奨してガバナンス改革を導いてきた。このことはつまり、20世紀の90年代にはじまった、民主主義もガバナンスも未熟な国家に対して行われた世界的なガバナンス改革が、21世紀のストロングマンの登場の一つの要因になっているのではないかとの問いを生じさせるのである。

(2)ストロングマンと政治体制

その問いを分析するにあたり、改めてストロングマンについて考えてみたい。まずストロングマンに共通する特徴としては、「ナショナリスト」「保護主義者」「マイノリティや外国人に対する不寛容」「個人崇拝」「裁判所への介入など法の支配の軽視」「自らだけが大衆を代表しているという姿勢」「ポピュリズム、大衆の恐怖をあおる手法」などが挙げられる。

またストロングマン登場の背景としては、二つある。

一つ目の背景は、経済のグローバル化である。グローバル化によって、低い法人税、安価な労働力を国家にもとめる多国籍企業が登場し、国家は法人税を引き下げ、労働市場の柔軟化を推し進め、企業の競争力を支援することになった。その結果、税収減となり、再配分や労働者に対してそれまであった保護が弱まり、それにより国民の所得格差が拡大し、中間層が崩れて、愛国主義的で排外主義的な思想が広がり、過激なストロングマンを支持してしまうという構図である。

二つ目の背景は、ソーシャルメディアの登場である。20世紀までの政治は、中間団体と主流派メディアが政治と有権者をつなぐ役割を担っていた。しかし21世紀の政治はソーシャルメディアが登場し、政治指導者がツイッター(X)やフェイスブックなどを利用して直接有権者に呼びかけるようになった。個人としての政治指導者が、組織化されていない有権者からの支持に依拠して選挙を勝ち抜き、政府権力を使用するようになっている。その結果、政党の政策よりも政治指導者の人格や能力、またはイメージが有権者の投票行動に強い影響を与えるようになっている。

そして SNS は短いメッセージが前提となるため、有権者の怒りや恐怖といった負の感情に強く訴えかけることに非常に効果的である。さらにフェイクニュースが繰り返し流されるなどして、社会に生まれた亀裂が民主政治を蝕み始めたと指摘されている。なお日本は東南アジアなどから比べて SNS が政治に入るのが遅れていると言われていたが、昨年の選挙から SNS が活用され始めている。

以上のような背景のもと、ストロングマンの登場は政治体制を問わず起きており、2010年代から増加している。これまでの内容からストロングマンを定義すると、「経済的グローバル化やソーシャルメディアの登場といった新しい時代に合わせた、新しい政治手法を駆使する指導者」と整理でき、民主主義体制でも権威主義体制でも、ストロングマンの政治手法は非常に似通っている。

ただし、プーチン、習近平、トランプ、フン・セン、ドゥテルテなどのストロングマンをすべて一括りに区分することはいささか無理がある。そこには政治体制との関係を見る必要があるのではないか。学術的な分析はまだ十分とは言えないが、それらは概ね、「新しいストロングマン」「元祖ストロングマン」「帰ってきたストロングマン」の3つのカテゴリーに分けることができる。

「新しいストロングマン」は、2010年代後半以降の新しい政権で、フィリピンのドゥテルテ大統領、トランプ大統領、またフランスのマクロン大統領などである。彼らは選挙など民主主義体制の中から登場するが、次の選挙で負けるなどして終了している。よく引用されるスウェーデンの V-Dem 研究の指標でも、米国、フランスなどはもともと民主主義体制が高い水準にあるため、トランプなどストロングマン大統領が登場しても、権威主義体制まで落ち込むことはないとみられる

「元祖ストロングマン」は、2010年よりも前からの超長期政権であり、カンボジアのフン・セン元首相、プーチン大統領、トルコのエルドアン大統領などである。「ストロングマン・ブーム」が言われる前から権力を握り、近年さらなる強権化が進んでいる。当然ながら、V-Dem 研究の指標でも民主主義の度合いは低い。

「帰ってきたストロングマン」は、個人ではなく軍事政権であり、冷戦期から長期にわたり政治権力を掌握していたが、一旦民主化するなどした後、再び軍部が権力を握っているケースである。民主主義の指標も、一旦民主化で上昇するが、現在は下がっている。

(3)ガバナンス改革と政治体制への影響

もう一つ、「元祖ストロングマン」および「帰ってきたストロングマン」に当てはまる国家には、ガバナンス改革が行われた1990年代に民主主義指数が急改善したという共通の特徴がある。

ガバナンス改革の範囲は、民主化支援から女性の権利保護など多岐にわたるが、全体的にみると「法の支配」と「反汚職」の比重が大きかった。それらの国の多くでは、法の支配や反汚職を目的とする改革により、裁判所、汚職取締機関、選挙委員会の設置がなされた。1990年代末から2000年代にかけて、国連腐敗防止条約をはじめとする条約などが相次いで署名・批准されて、各国に汚職取締機関が設置された。また同時期に、多くの国で法の支配を徹底するために憲法裁判所や選挙委員会などが設置された。

ではこれでガバナンスに関する指標が上がったのかというと、疑問である。例えば、日本を含む国際社会が深く関与してきたカンボジアの法の支配指標やガバナンス指標は、期待されたほど改善していない。ロシアも、ソ連崩壊後に一時上向きになったものの、その後は低迷している。タイについても、1990年代から2000年代前半にかけて指標上はやや改善したように見えるが、現地での実感としては「そこまで変わっていない」と感じることが多い。そして2010年代に入ると、むしろ悪化に転じている。

ここで重要なのは、民主主義の指標は選挙や政権交代によって上下しやすい一方、ガバナンスの指標はそう簡単には改善しない、という点である。にもかかわらず、強い権限を持つ反汚職機関や憲法裁判所を導入したことが、結果としてストロングマンや軍事政権が政治的ライバルを排除するための道具として利用されてしまっている可能性があるのではないかという問題が生じている。

(4)タイの政治史の概略と1997年憲法

この点を、タイの事例を通じて少し具体的に見ていきたい。タイの現代政治の流れを簡単に整理すると、1932年に立憲革命により絶対王政から立憲君主制へ移行し、ここからタイの現代政治史が始まる。以降、西洋型民主主義を目指すという建前はあるものの、軍や官僚エリートが実質的な権力を握り続ける体制が長く続いた。成功したクーデターは、現在までに13回に上る。

冷戦期、特に1957〜58年のクーデター以降は、長期の軍事政権が続いた。1973年に学生運動を契機に民主化の高まりがあり、一時的に自由化が進むが、その後インドシナ半島での共産化の波が押し寄せ、国内が混乱し、再び軍事政権に戻る。

1990年代初頭に、冷戦終結のタイミングと重なり、本格的な民主化運動とガバナンス改革が開始される。1990年代のタイは、東南アジアの中では「民主主義の優等生」と見なされていた。この時期に導入されたのが、いわゆる「人民憲法」と呼ばれる1997年憲法である。

この憲法の起草で重要な役割を果たしたのが、ごく少数の法学者たちであった。タイでは、大学教授になるには国王の承認が必要でポストも少ないため、教授職にある法学者は非常に限られた「狭いサークル」を形成している。その一人であるボーンサクという憲法学者が、1997年憲法の設計思想に大きな影響を与えた。

彼は、タイのガバナンス上の問題として、主に次の五点を挙げた。
(イ)軍部と官僚が権力を独占している
(ロ)政党が未発達で、クーデターが頻発し、政権が短命である
(ハ)政策に継続性がない
(二)官僚と一部財閥による癒着構造
(ホ)過度の中央集権

この問題の診断は非常に的確だったが、それに対する「処方箋」には大きなズレがあった。1997年憲法には、次のような改革が盛り込まれた。

これらの独立機関は、予算や人事の面でも強い独立性と権限が与えられた。その一方で、診断で指摘していたはずの「軍と官僚による権力独占」や王室ネットワークなど、権力構造の根本部分に対する改革はほとんど手つかずのまま残された。

その結果、「軍・官僚・王室ネットワークなど『ディープステート』は維持されたまま」「政治家だけが強く規制され、汚職や不祥事として弾劾されやすい構造ができてしまった」という、非常にアンバランスな制度設計になってしまった。この「歪み」を抱えたまま、タイ政治は21世紀に入っていった。そこで登場したのが、二人のストロングマン――タクシン・チナワットとプラユット・チャンオチャである。

(5)タクシン政権:ガバナンス改革と官僚・軍への挑戦

最初のストロングマンがタクシン・チナワットである。彼が率いたタイ愛国党は、2001年と2005年の総選挙で大勝し、2005年選挙では約75%の議席を獲得して、タイ史上初の単独政権を樹立した。タクシンは2001〜2006年まで首相を務め、最後はクーデターによって追放された

タクシン政権の政策は、しばしば「ポピュリズム」として紹介されるが、ここではガバナンス改革の観点に絞ってみていきたい。

1997年アジア通貨危機(タイ・バーツ暴落、いわゆる「トムヤムクン危機」)の際、IMF はタイ政府のガバナンスの弱さを厳しく指摘し、「グッドガバナンス」が重要な課題となった。2000年代初頭のタイにおいて、「ガバナンス改革」は避けて通れないテーマとなる。

タクシン政権の特徴は、従来の官僚主導の政策決定を改め、次のように、自らを中心とする政治主導型のシステムへと転換しようとした点である。

このように、ガバナンス改革を掲げつつ、実際には官僚・軍の権限と予算を削り、自らに権力を集中させるスタイルを取ったため、官僚と軍から見ると「面白くない政権」だったと言えよう。

とくに内務省に対する介入は強烈であった。内務省は地方行政と警察を所管し、新興国では非常に強大な省である。タクシンは内務省の権限を他省に移したり、地方行政に首相直属の役職を設けるなど、内務官僚にとっては「縄張りを荒らされる」ような改革を行った。

さらに、地方自治体首長の直接選挙導入など、地方政治にもメスを入れたため、内務官僚の強い反発を招いた。タクシン政権末期には、内務省幹部の辞任が相次ぎ、バンコクのエリートや中間層を巻き込んだ反タクシン運動が激化し、その結果が、2006年の軍事クーデターとなる。

この経緯を踏まえると、タクシンは「ガバナンス改革を掲げて、既存エリートの既得権益に大胆に踏み込んだ結果、軍と官僚の反発を招き、クーデターで排除された」とも言えよう。一方で、その後の展開を考えると、彼が残した「政治家に対して厳しく、軍や官僚には甘い」制度的枠組みが、後の軍事政権による統治の土台にもなってしまった。

(6)プラユット政権:グッドガバナンスの名による再軍事化

二人目のストロングマンが、2014年のクーデターで登場したプラユット・チャンオチャ陸軍司令官である。2014〜2019年に軍事政権の首相となり、2019〜2023年には選挙後も民政の枠組みの中で首相にとどまり、事実上の超長期政権となる。

プラユット政権は、タクシンとは逆に、以下のように、1997年憲法が作り出した独立機関や反汚職制度を、徹底的に政治的道具として活用した。

2017年憲法では、「政治倫理規定」が導入された。これは、憲法裁判所が「倫理違反」と認定した場合、その政治家に対して終身の被選挙権剥奪を科すことができる、非常に厳しい規定であった。現在も、最大野党の前身である前進党の議員数十名が、この条項を根拠とする訴追の対象となっている。

問題は、この「倫理違反」の定義が非常に曖昧で、恣意的な運用の余地が大きいことである。タクシン派や改革派の政治家には厳しく適用される一方で、軍高官や保守エリートに対しては、汚職疑惑が指摘されてもほとんど追及されない、という二重基準が存在している。

汚職取り締まりの件数や予算は右肩上がりで増え、「反汚職ブーム」とも言える状況であるが、その矛先は一方的であり、「グッドガバナンス」の名のもとに、事実上の政治弾圧が行われている面がある。これはカンボジアのフン・セン政権下の反汚職運動とも共通するパターンといえよう。

経済政策面では、プラユット政権は東部経済回廊(EEC)構想などを掲げ、日本企業も関心を持つ地域開発を推進したが、その中核組織には軍高官が多数関与し、防衛産業育成と結びつくなど、軍の影響力がむしろ強化される方向に働いた。

予算配分でも、クーデター後は中央予算比率が再び上昇し、軍人・官僚の年金や福利厚生に重点的に使われていると野党から批判されている。地方行政についても、地方首長選挙を一時停止し、現職を任期延長することで取り込みを図る一方、多数の地方政治家を汚職容疑で失職させるなど、ガバナンス改革の言葉を使いながら、実態としては軍の統制を強める方向に利用したと言えよう。

(7)まとめ――民主主義とグッドガバナンスの「ねじれ」

タイの事例から見えてくるのは、次のような点である。

タイの軍事クーデターは、カンボジアやミャンマーなど周辺国にとって悪い意味での「前例」となった。「タイですら再軍事化できるのだから、自分たちもやってよいのだ」という、権威主義の「正当化」の材料になってしまった面がある。

つまり、民主主義とグッドガバナンスは本来、両方とも重要な価値であり、どちらも追求されるべきであるが、その関係は単純な比例関係ではない。制度設計や政治文化、権力構造によっては、「グッドガバナンス」がストロングマンの手に渡ったとき、民主主義を痛めつける道具にもなり得るということである。

以上
文責:事務局