政策本会議

第97回政策本会議
「日豪関係を支える人とネットワーク」メモ

2023年12月1日
東アジア共同体評議会(CEAC)事務局


報告のようす

第97回政策本会議は、David Walton西シドニー大学准教授を報告者に迎え、「日豪関係を支える人とネットワーク」と題して、下記1.~6.の要領で開催された。


  1. 1.日 時:2023年12月1日(金)16時30分より18時まで
  2. 2.開催方法:日本国際フォーラム会議にて対面およびZOOMウェビナーによる併用
  3. 3.テーマ:「日豪関係を支える人とネットワーク」
  4. 4.報告者:David Walton 西シドニー大学准教授
  5. 5.出席者:20名
  6. 6.審議概要

  David Walton西シドニー大学准教授から、次のとおり基調報告があった。

(1)はじめに

戦後の日豪関係は貿易や経済関係を基礎に発展してきたが、近年、安全保障上の結びつきが貿易上の結びつきに匹敵するまでになった。戦後の両国関係が発展した背景には、両国の外交官などによる政策ネットワークが果たしてきた役割が大きい。しかし、政治的なネットワークに焦点を当てた研究はあまり行われていない。本政策会議では、1970年代以降の日豪間の政治的なプラットフォームとして、また商業的な取引における関与を補完するものとして、両国の政策ネットワークが発展してきたことについて報告する。

(2)日豪間の政策ネットワークの形成

戦後の二国間関係は、1957年に締結された日豪通商協定を通じた貿易関係の確立によって始まった。1976年に結ばれた条約で投資や人の移動の自由が認められた。安全保障分野において、キーティング首相と村山首相が主導した「日豪パートナーシップに関する共同宣言」(1995年)は重要な進展であり、その後「安全保障協力に関する日豪共同宣言」(2007年)が締結され、2022年に改訂されるに至っている。2022年の「日豪円滑化協定」は、日豪関係における歴史的な転機でもある。
 戦後、オーストラリアには日本に対する敵意や恨みの念があったが、同時に両国関係を前進させる必要性も認識されていた。日豪間の貿易関係の確立以降、オーストラリア外務省では日本の重要性についてさらに強く認識され、日本との関わりを積極化し、経済関係をより強化することが重要であった。3代目の駐日オーストラリア大使となったローレンス・マッキンタイヤー卿は、日豪間の政策ネットワークを構築する過程で重要な役割を果たした。ゴフ・ホイットラム首相は日豪間の相互依存関係の発展が重要であることを指摘するなど、オーストラリアにおける日本の重要性がさらに認識され、オーストラリア外務省内で対日政策を推進する部署が設立された。
 戦後の両国関係の対話は貿易と経済分野が主たる対象であったが、70年代以降、対日政策に対してオーストラリア外務省の影響力が強くなっていった。また、地域問題に関する日本との定期的な協議は、オーストラリアの外交政策のトーンやスタイル、方向性に影響を与え、オーストラリアの地域外交に影響を与えた。オーストラリアから見れば、日本は戦後のアジア太平洋地域における長期的な二国間パートナーシップを築いた初めての国であった。
 ローレンス・マッキンタイヤーと黄田多喜夫との関係や、キース・シャンと斎藤鎮男との関係など外交官のつながりが非常に重要になり、日豪関係に関する様々な部署の協力や統合が進んだ。アジア情勢について、オーストラリアは香港の英国情報部と米国の情報部に頼っていた。日本は、オーストラリアにとってアジアに対する米英と異なる視点を提供する存在であった。こうした重要性が、歴代の駐日大使や日本の外交官たちの手で政策ネットワークとして発展する要因となった。

(3)日豪関係に対する政策ネットワークの影響

政策ネットワークは、オーストラリアと日本の政府高官との緊密な結びつきをもたらし、両国関係を強化するための手段となった。歴史的に見ると、アジア開発銀行、環太平洋連帯構想、太平洋経済協力会議などの議論に加えて、オーストラリア、日本、ニュージーランド、カナダ、アメリカが参加した安全保障フォーラム構想、QUADなどはすべて、オーストラリアと日本が、アジア太平洋の地域アーキテクチャーの構築について対話することに強い関心を持っていることを示している。
 第一に、政策ネットワークの影響は、二国間の利益という点から考えることができる。重要なことは、米国の枠組みを超えて論じることが可能なことである。日本は、オーストラリアの外交政策の中で大きな位置を占め、オーストラリアの長期的な利益にとって不可欠な存在と見なされるようになった。1976年に締結された日豪友好協力基本条約は、オーストラリアがアジアの国と締結した条約としては最も包括的なものであり、日本のオーストラリアに対する重要性を示すものであった。
 第二に、60 年代初頭までに始まった対話と情報交換は、政策ネットワークとして発展し、その結果、多くの分野で非常に緊密な個人的つながりが見られるようになった。また、70 年代までに二国間関係が制度化されたことで、両国間での対話の習慣やパータンがより強化されたと言える。
 第三に、政策ネットワークは、日本のグローバルなフォーラムや地域フォーラムへの参加をオーストラリアが支援するうえで有益であった。例えば、オーストラリアは日本の国連加盟を支援するとともに、国連安全保障理事会への非常任理事国としての参加も支援した。オーストラリアによる強力な支持は,日本外務省内の親オーストラリアグループの形成へとつながった。このグループは、 1960 年代半ばからオーストラリアとの閣僚対話を制度化する基礎となった。これは、オーストラリアが日本にとって重要な存在であったことを示している。
 第四に、政策ネットワークは二国間関係を評価する革新的な方法であり、戦後の両国関係形成期において両国の外務省が重要な役割を担っていたことを明らかにした。政治的な政策ネットワークは、経済や貿易分野が重視された時代のネットワークを補完し、戦後の二国間関係の発展に不可欠な要素であった。二国間関係を理解するうえで、政治と経済の垂直的組み合わせは、日豪関係の発展を包括的に理解する新たな視点を提供するものである。

以上
文責:事務局