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2025-11-30 05:57
(連載1)国際法における国家「承認」:台湾とウクライナ東部
篠田 英朗
東京外国語大学大学院教授
国際法において国家の「承認(recognition)」に関する事項は、国際法秩序の根幹を形成する規則であると言える。そのことに疑いの余地はない。しかし、だからこそ、非常に複雑かつ繊細だ。このことを痛感する二つの事柄がある。台湾とウクライナ東部だ。台湾は、高市首相の「台湾有事」発言以降の喧騒で、あらためて注目の対象となっている。ウクライナ東部は、トランプ大統領の「28項目和平計画」が具体的な交渉の議題になっている経緯があって、あらためて議論の対象になっている。ただ、いずれの場合も、政治イデオロギー的対立構図の中で、国際法の理解は埋没している印象はある。台湾をめぐっては、高市首相擁護派と批判派の争いが激しい。ウクライナ東部の扱いをめぐっては、「ウクライナ応援団」の国際政治学者の方々らによるSNSなどを通じた「28項目潰し」と言ってもよいような政治運動キャンペーンが進行中だ。
中国と台湾の関係は、あたかも中央政府と分離独立運動の関係に見えないことはない。そこで多くの人々が、台湾は独立を求めているが、それを国際社会が認めていない、と誤解しがちである。だが実際には、台湾の中華民国政府は、まだ一度も中国大陸からの分離としての「独立宣言」を行っていない。むしろ意図的に回避している。中国を刺激し過ぎないためだ。だがそれにもかかわらず、台湾政府は、自らが一つの国家を代表しているとみなしている。その国家は、理論上は大陸部分の中国も包含しているはずの中華民国だ。この国家は、1912年に孫文が樹立した北京を首都とする国家を継承しているとされる。初代大総統の袁世凱の死後は、混乱をへて、蒋介石の国民党が、この国家を代表するようになった。第二次世界大戦をへて連合国の一員として戦勝国の一角を占める地位を得て、ポツダム宣言に基づいて日本が放棄した台湾島も、その統治下に置いた。しかし1949年の共産革命で、国民党政府は大陸を追われて台湾に逃げて、あらたに台湾省台北市を事実上の首都とした。
日本やアメリカは、共産革命の事実を度外視し、この中華民国を中国の正統な国家であるとみなし続けたが、1971年にアメリカ(キッシンジャー秘密外交/ニクソン・ショック)がソ連を牽制する目的で中国に接近すると、国連での代表権も北京の中華人民共和国政府に移った。日本は、その流れの中で、1972年に中華人民共和国を、中国を代表する唯一の国家として承認し、中華民国の国家承認を取り消した。このように「一つの中国」の原則を維持し続けながら、諸国が承認対象の国家を中華民国から中華人民共和国へと取り換えたのが、中国と台湾の関係の歴史である。したがって台湾は、まだ一度も、大陸から切り離されて存在する独立した政治体であることを公式に承認されたことがない。現在、まだ中華民国を国家承認し続けている国が、バチカン公国を含めると12カ国あるが(中南米のカトリック諸国や太平洋島嶼国の一部)、これらの諸国は逆に、中華人民共和国を承認していない。
たとえばパレスチナ問題をめぐっては、パレスチナ自治区がイスラエルに占領されているにもかかわらず、「二国家解決」が国際社会の総意になっている。イスラエルを国家承認していて、パレスチナを国家承認していない日本なども、「二国家解決」は支持する、としている。これとは全く逆に、中国問題をめぐっては、台湾が事実上の独立国であるにもかかわらず、「一つの中国」が国際社会の総意になっている。どちらの国家を承認するかにかかわらず、「一つの中国」については、例外のない国際社会の総意があるのである。(つづく)
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