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2021-03-28 09:06
(連載2)WHOの武漢現地調査と深まる謎
斎藤 直樹
山梨県立大学名誉教授
WHO調査団が2021年1月31日に問題の華南水産卸売市場での調査を実施したが、武漢市で同ウイルスの感染拡大が始まったとされた2019年12月から1年1ヵ月以上も経過していた。同市場はそれまでに徹底的に消毒が施されており、当時の面影を留めていたわけでない。しかも市場での調査は1時間あまりに制限された。これでは市場での実質的な調査が進むはずもなかった。またWHO調査団が「中国科学院武漢ウイルス研究所」に滞在できたのは4時間程度であった。WHO調査団はコロナウイルス研究プロジェクト・リーダーである石正麗(Shi Zhengli)氏とも会談したとは言え、同研究所で実質的な調査は何も行われなかったと言える。現地調査日程には新型コロナウイルスへの勝利を示す展覧会場への訪問も組み込まれた。展覧会の視察はウイルスの発生源の特定とどう考えても関係のないものであり、貴重な時間の浪費となった。2月9日にWHO調査団と中国調査団の合同記者会見が行われた。合同記者会見も中国調査団の思惑通りに進み、WHO調査団は控えめな発言に終始した。中国調査団長の梁万年(Liang Wannian)氏は新型コロナウイルスを運んだとされる自然宿主は特定できていないと強調した。また梁万年氏は2019年12月以前に武漢市で同ウイルスによる感染が拡散していたとは言えないと力説した。ところが後述のとおり、エンベルク氏は12月以前に同ウイルスが武漢市で拡散していた可能性が高いと、数日後、スイスでの記者会見で異論を唱えることになる。
さらに梁万年氏は同ウイルスの発生源が中国国外であるという可能性を一方的に強調した。同氏はウイルスが外国から輸入された「コールドチェーン(低温物流)の製品に付着して長い距離を移動した可能性」があると推論した。要するに、ウイルスの発生源は中国とは限らないと、同氏は論じたかったのである。ウイルスが外部から中国に持ち込まれた可能性を同氏が示唆したが、この種の主張は以前からの中国当局の常套手段である。2020年3月12日に中国外務省報道官が武漢市に米軍兵士達がウイルスを持ち込んだ可能性があるとするフェイク・ニュースを流して、トランプ政権の怒りと憤りを買ったことに端を発して、その後事あるたびに発生源は武漢市や中国とは限らないと、中国当局者や中国専門家達が吹聴してきた。他方、WHO調査団は「中国科学院武漢ウイルス研究所」にまつわる疑惑の可能性を婉曲に排除した。同研究所に滞在できたのは4時間程度であり、それだけで同研究所と新型コロナウイルスの相関関係を解明できるわけではなかった。このように、発生源の解明と言う意味では主だった前進はなかった。しかもウイルスを運んだとされる自然宿主の特定についても進捗があったわけではなかった。他方、中国側はWHO調査団に最小限の情報の提供を行った。その中に極めて重要と思われる内容が含まれていたが、これに中国側は気づいていなかったようである。
WHO調査団がスイスに戻ってから、エンバレクWHO調査団長は衝撃的とも言える記者会見を行った。2月15日にエンバレク氏がCNNとの記者会見で明らかにした発言は習近平指導部にとって聞き捨てならない内容を含んでいたと言える。エンバレク氏は、これまで中国当局が初の感染者が出たとされる2019年12月よりかなり前から武漢市でウイルスの感染は拡大していた可能性があると明言した。しかも中国当局の当時の発表とは比較できない程、ウイルスの感染拡大規模は広範囲に及んでいただろうと、同氏は推察した。同氏によると、WHO調査団は2019年12月の時点で見つかったとされた174の症例を調査した。これは中国調査団の情報提供による。この内100の症例は検査を通じ感染が見つかった一方、74の症例は患者の症状から感染が確認された。これらの174人が重症であったと推察されることを踏まえると、12月の時点で武漢市での感染者数はおそらく1000人を上回っていたであろうと、エンバレク氏は推察した。またエンバレク氏は12月の時点で武漢市では様々なウイルス株が見られたと述べた。同氏によると、その数は12種類以上に及んだとされる。この結果、中国側が言うところの12月に初の感染者が武漢市で確認されたとされるはるか前の時点で、ウイルスは同市で拡散していたのではないかという疑問が表出した。
上述のとおり、2月9日の合同記者会見で梁万年氏が12月以前に武漢市で同ウイルスが拡散していた証拠はないと力説したのに対し、エンバルク氏は12月以前に拡散していた可能性が高いとCNNとの記者会見で述べたことにより、WHO調査団長と中国調査団長の見解が真っ向から食い違うことが明らかになった。中国側がかねがね論じてきた12月に初の感染者が出たという主張はつじつまが合わなくなる。エンバレク氏曰く、「このウイルスは12月に武漢で広く出回っていた。これは新しい発見である。」この結果、これまでの中国側の主張が立脚してきた根拠が揺らぎかねない。これまでも12月以前に武漢市でウイルスの感染は拡大していたのではないかと一部の専門家達から疑問視されてきた。12月の時点でウイルスが武漢市で蔓延していたわけでないとしても、エンバレク氏が推察するように1000人以上の感染者が出ていたとすれば、中国当局はこの感染拡大を隠蔽していたのであろうか。しかも12月以前にウイルスが武漢市で拡散していたとすれば、最初の感染者が出たのはいつ頃なのか。謎は深まる。(おわり)
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投稿履歴
(連載1)WHOの武漢現地調査と深まる謎
斎藤 直樹 2021-03-27 08:37
(連載2)WHOの武漢現地調査と深まる謎
斎藤 直樹 2021-03-28 09:06
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