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2007-03-12 06:15
従軍慰安婦問題に関する安倍総理の発言は問題か
村上正泰
日本国際フォーラム研究主幹
3月8日付で滝田賢治教授が従軍慰安婦問題について寄稿されているので、コメントしたい。滝田教授は、従軍慰安婦問題に対するアメリカの関心の強さの背景として「小泉政権以来、現安倍政権に至る日本のナショナリズムの高まりに対する警戒心」を指摘されており、そこには「対日占領政策を含むアメリカの戦後対日政策全般の正当性が問われているという意識が存在している」と述べておられる。今月8日付のニューヨーク・タイムズ紙による「戦時中の日本の過去を抑え込むことでキャリアを築いた民族主義者」という安倍総理に対する批判などを見れば、アメリカの中にそうした警戒心を主張する人たちがいるのは確かであろう。しかしながら、だからと言ってホンダ下院議員が提案している決議案に問題がないということにはならないはずである。
もちろん双方ともこの問題を過度に政治的な形でエスカレートさせるべきではないと思うし、それ故に政治家の発言は熟慮されたものであるべきだと思うけれども、相も変わらずこの種の問題が浮上するのは、むしろ、これまで曖昧な形での決着ばかりに終始してきたことで、一方的な既成観念が広がってきたからに他ならない。このように言うと、それこそが「ナショナリズムの高まり」だということになるのかもしれないが、過去の過ちについて事実は事実として認め、謝罪すべきは謝罪すべきであることは言うまでもない。安倍総理自身も「慰安婦の方々が極めて厳しい状況に置かれて辛酸をなめたことに心から同情し、既におわびしている」と述べている。したがって、何も戦前の日本を正当化しようとしているのではない。問題は、謝罪の前提となる事実とは一体如何なるものであったのかということである。事実関係を具体的かつ正確に認識することなく、政治的判断だけを優先させて曖昧に済ませてしまうと、何の問題解決にもならず、かえってお互いに感情的になって事態を悪化させかねないのである。
滝田教授は「軍の直接的な「強制」がなかったという「形式論」は無意味」だと述べておられる。もちろん同教授の言うように「木を見て森を見ざる」にならないよう十二分に気をつける必要はあるけれども、誤解があるのであれば、それを正すこと自体は無意味ではなかろう。軍が関与したと言っても、国家権力により「人さらい」のように強制連行したかどうかによって、事実認定それ自体の正確性という問題だけではなく、人々の抱くであろうイメージも多分に異なってくるからである。
そもそも1993年のいわゆる「河野談話」において、我が国は謝罪の意を表明しており、安倍総理も河野談話を継承している旨の答弁を明確に行っている。しかし、この談話はいささか曖昧な形で妥協した部分があり、誤解を招きやすくなっている。当時の石原官房副長官が述べているように、国家権力による強制的な連行の証拠になるようなものはなかったし、河野談話自体もよくよく読めば、それを認めているとは言えない。というのも、河野談話で言うところの「官憲等がこれに加担したこともあったことが明らかになった」というのはジャワ島における戦争犯罪行為であり、この関係者は戦後に死刑ないし懲役刑になったが、その前にそもそも日本軍当局によって処罰されているからである。
私は河野談話の見直しは必要ないと考えるが、国内外において従軍慰安婦問題をイメージだけで語ることが横行している中にあって、事実関係を正確に述べようとすることは必要ではないかと考える。その意味で、「本人たちの意志に反して集められた」ことや「慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった」ことなど、「広義の強制性」に対する謝罪を大前提として、「狭義の強制性」を裏付けるものがなかったという説明自体はさほど問題視すべきものではないであろうし、河野談話から逸脱するものでもないであろう。ただし、繰り返しになるが、その場合には、微妙な問題であるが故に、逆の誤解が生じないよう、過ちに対する最大限の謝罪を同時に明確にすべきであるし、言葉遣いに対してこの上ない慎重さが求められることは言うまでもない。
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従軍慰安婦問題と日米関係の歴史的文脈
滝田 賢治 2007-03-08 09:42
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村上正泰 2007-03-12 06:15
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