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2018-03-02 00:00
合衆国憲法修正2条と日本国憲法9条
篠田 英朗
東京外国語大学大学院教授
フロリダ州の高校銃乱射事件で、アメリカでは銃規制の問題が、あらためて大きな議論を巻き起こしている。世論の3分の2が規制強化を支持しているというが、全米ライフル協会の影響力もあって、規制は進まない。それにしてもなぜ銃を保持する権利が認められているのか。「規律ある民兵団は、自由な国家の安全にとって必要であるから、国民が武器を保有し携行する権利は、侵してはならない」とする合衆国憲法修正第2条(1791年成立)のためである。
1791年当時の北米独立13州(State)は、現在のアメリカとは大きく異なり、合衆国の単位で機能している行政機構は、まさにようやく1788年合衆国憲法によって作られたばかりの貧弱なものしかなかった。安全を図る自由な国家は、州(State)のレベルで確保されるので、連邦政府が暴力の独占を図ることが非現実的だと想定された。また、西部開拓は進められ続けており、ネイティブ・インディアンとの戦いも恒常的であった(1776年独立宣言ではイギリス国王がネイティブ・インディアンの暴虐を扇動していることが非難されていた)。つまり、言うまでもなく、修正第2条が前提としていた環境は、21世紀のアメリカ合衆国の環境とは、大きく異なっていた。1791年に「規律ある民兵団は、自由な国家の安全にとって必要」という議論が、2018年に高校を襲撃する凶器の未成年に銃を与えることを合法とみなすか否かという議論とは、全く関係がないことは、明白である。
それでも問題を整理するための憲法改正がなされてこなかったのは、既得権益を持つ者たちの反対によってである。つまり、アメリカにおける銃規制の問題は、200年以上前の時代環境の中で作られた憲法規定を、現代のアメリカ社会に既得権益を持つ者たちが利用し続けている構造に、問題がある。日本国憲法9条も、同じような困難を抱えている。9条2項が不保持を宣言しているのは、前文や9条1項から明らかなように、現代国際法に違反した行動で侵略行為を行う「戦力(war potential)」のことである。1946年2月当時、まだ進行中であった大日本帝国軍の解体に関して、国内法上の根拠を与えたのが9条2項であった。9条2項は、大日本帝国軍解体を根拠づける規定である。将来にわたって国際法にそって自衛権を行使するための組織を禁止する意図はない。
9条の趣旨は、ドイツ国法学特有の国家の「基本権」思想に基づいた「国権」や「交戦権」を振りかざし、国際法から逸脱した行動を、日本は二度と取ることはしない、という宣言にある。平和愛好国になって国際法規範を推進していく、という宣言だ。「憲法優越性」を唱えて、国際法を無視することを主張するために「護憲派」を名乗るのは、邪道だ。しかし日本にも憲法通説で9条を解釈することに大きな既得権益を持つ者たちがいる。数十年にわたって積み重なった膨大な既得権益を持つ者たちがいる。そうした者たちは、改憲どころが、違う9条解釈が語られるだけで、感情的な反発をする。そして絶対粉砕の運動を起こす。憲法9条の改正は、合衆国憲法修正2条の改正と同じくらいには、困難だろう。しかし、問題を放置し続けるのであれば、両方の場合において、人々の不安と、国力の疲弊だけが、増大していくことになる。
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