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2010-09-06 00:00
「小沢首相」なら、「日本の荒廃」は必至
杉浦 正章
政治評論家
「裁判を受け堂々と潔白を主張したい」と民主党代表選候補・小沢一郎は胸を張って開き直っている。しかし、日本の首相が、強制起訴で法廷に立ち、疑惑の一つ一つを弁明する姿を想像できないのは、筆者だけであろうか。国民は小学生に至るま凝視する。国民ばかりか、世界中のメディアが報道する。この「首相イコール刑事被告人」の構図は、日本人の精神構造にまで変化をもたらす危険をはらむ。そして国家の品格が問われて、外交にボディブローとなって利いてくる。中曽根康弘は『日本の総理学』の中で「政治家は歴史的法廷の被告席に立たされている」と看破しているが、小沢の場合それ以前に「首相の犯罪」として現実に法廷に立つことになる。国民の手本となるべき首相が、日本人が人格形成の要諦として大切にしてきた「恥」の精神構造などどこ吹く風と、法廷に片手を上げて現れ、笑顔で入廷するのだろうか。
その前ぶれともなる風潮が、民主党内で小沢を囲んで行われている「気合い」だ。利用されていることすら知らない女性柔道家が奇声をあげて、小沢を励ます。なにか重要な道徳律、倫理観が欠けているような気がしてならない。民主党内の空気は「あれよ、あれよ」というまにヒトラーを台頭させてしまったドイツをほうふつとさせる。小沢が検察審を「一般の素人がやる仕組みでいいのか」と批判するのは、まるでヒトラーの闘争宣言のように聞こえる。ヒトラー・ユーゲントのような小沢チルドレンが数十人も出席して、その小沢を「ハイル、オザワ」とやっているのだ。街頭演説では明らかに八百長と見られるエールの声が飛び交っている。9月6日付の全国紙世論調査では、菅支持が朝日65%、読売66%、小沢支持が朝日17%、読売18%と、民意は依然菅にある。小沢支持グループは、自らの行動がその民意と“ねじれ現象”を起こしていることに気づかないのだろうか。
「小沢首相裁判」はまず外交に影響を及ぼす。ワシントンで「大統領の犯罪」が問われたウオーターゲート事件をカバーしたが、あれほど対ソ、対中外交で敏腕ぶりを見せたニクソンでさえ、事件が表面化した末期の1年は外交が手に付かなかった。諸外国もまともに相手にしなかった。まして政局は知っていても、外交は発言する度に音痴ぶりを露呈させる小沢が、サミットに出て対応できるのか。芸者スキャンダルの宇野宗佑が「サッチャーが『不潔だ』と言って、握手してくれないのではないか」と危惧したレベルの話が山積するだろう。内政はどうなるか。一審の公判には、たとえ首相と言えども出席を義務づけられている。毎回裁判所は傍聴人の長蛇の列となる。「堂々と裁判を受ける」のは自分の勝手だが、首相の前提条件の最たるものは「裁判を受けるような刑事被告人になってはいけない」ということではないのか。
なったら自粛するのが、「首相学」の基礎だ。被告席に立つ首相の姿は、ナイーブな日本の子弟の教育上でも悪影響を及ぼさざるを得ないだろう。また裁判の度に国会審議が連動する。偽証罪が適用される証人喚問も開かれるだろう。国会は、国政どころか、「首相の犯罪」一色となる。危機管理はどうなるか。首相たるもの内政・外交・安保上の危機には即時対応できる態勢になければならない。それが重大事件に際して「現在裁判中で動けません」で義務を果たせるのか。推定無罪を盾に開き直っているのが小沢の現状だが、検察の不起訴処分はあくまで証拠が足りなく、嫌疑不十分がその理由だ。疑惑は残ったままだし、政治道徳上、倫理上の問題は全く解決されていないのだ。民主党議員に告げたい。刑事被告人となる日本の首相を、いかなることがあっても選出すべきではない。選出すれば次の総選挙で壊滅的な打撃を被るのは民主党だ。
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