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2010-07-17 00:00
自衛隊は一旦有事の際に真の軍事力として機能するか
入山 映
サイバー大学客員教授・(財)国際開発センター研究顧問
国際紛争解決の手段としての戦争は放棄した日本だが、身にかかる火の粉も払わないということではない。問題は、どんな場合でも「やられる」まで待っていなくてはならないのか、やられた時にその防御・撃退を超えて攻撃の根元を断とうとすることは許されないのか、というあたりだろう。
一番目の話は、核の先制攻撃はしない、という宣言と同じ問題だ。そういう意志を持っている、というだけでは効果がなく、それを内外に公表することに意義がある、という点も同じだ。日本は、ただ平和憲法を持っている、というだけで、先制攻撃はしません、と内外に対する意思表示をしたことはないから、現実の紛争予防に対する効果という意味では、まだ途半ばだといってよいだろう。ついでに余分なことを言えば、これは明示の言動についてのことであって、隠密裡の行動(covert operation)は別の話だ。ハリウッド映画のように、日本に向けたミサイル基地に工作員を送り込んで破壊工作をしたり、好戦的な独裁政権の失権に向けての現地の運動を支援したりというのは、(やっていることがばれない限り)大いにやるべし、かどうかはともかく、選択肢の内に入れるということだ。
二番目の方は悩ましい。史上侵略戦争を明言した例はごく少なく、防衛に名を借りた他国侵略、というより他国の実力支配というケースが圧倒的に多い。現在進行中のNATO軍によるイラン・アフガニスタン「侵略」もその例に漏れない。アフガニスタンの場合、あの国の内政をなんとかしよう、というよりはタリバンの巣窟を掃討したいという点で、少し違って見えるだけの話だ。そのひそみに倣っていえば、日本がミサイル攻撃を受けたからといって、その基地を叩くのは御法度ということになる。そんな馬鹿な話があるかというのと、いやそうあるべきだというのは、どちらも根拠があるように思う。どちらを採るかは議論して選択する他はあるまい。ただ、直接の軍事目標を超えて侵略国そのものをなんとかしよう、というのはなしにしたほうがよい。他国軍の侵略支配を諸手を上げて大歓迎したのは第二次大戦後の日本くらいのものではないか。それ以外は全て泥沼化して、足を取られるどころか、頭まで浸かってしまう。
武力による直接介入はなしというのが、どうやら相場感として成立しているように見える。国連の議決や宣言、それによる経済封鎖くらいが限度で、それさえ、違反して抜け駆けみたいなことをしている国をなんとかする方法もない始末だ。日本の場合、事態はもっと深刻で、軍隊そのものの存在に対する認識や支持がきわめて怪しげになってしまっている。災害の時に訓練されて便利に使える集団程度の理解では、一旦有事の際に真の軍事力として機能するかどうか。先の議論そのものが絵空事になりかねない怖さがある。それがめでたいことであるかのような意見を持つ人がいるのも、国防議論を空疎にしかねない。
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