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2010-06-18 00:00
民間財団を縛る官僚の制度設計
入山 映
サイバー大学客員教授・(財)国際開発センター研究顧問
北大人獣共通感染症リサーチセンター長の喜田宏教授が「(知的財産の成果が)個人に返ってしまうような仕事は、本物ではないと思うのです」と言っている。このコメントが日本の科学者の主流をなす意見であるのかどうか、筆者は知らない。しかし、こうした意見が、しかるべき場所で堂々と述べられる、また述べる人がいる、という事実は、拝金教一色に塗りつぶされたかのごとき観のある世界の中で、救いであるし、日本人のエトスも捨てたものではない、という感を新たにする。
年収が何億円だ、何十億円だという金融やITビジネスの成功者物語が、創業者に留まらず、一般化しつつあるとか、新薬開発が商業採算性から滞り、待ち望んでいる患者に供用されないとか、そういう話を耳にするにつけ、改めて経済行為と倫理観、あるいは人間の生き様との関係について、疑問が心をよぎる。一つの解決法は、20世紀初頭にロックフェラー、カーネギー、フォードといった当時の大財閥たちが巨額を投じて設立した財団の数々だ。最近ではあのビルゲイツ夫妻の20億ドルに、ウォール街の大物バフェットがなんと300億ドルを寄付した財団も有名だ。
「個人が私財を投ずるのは良い。しかし、それが大きな社会的影響力を持つのはいかがなものか」というのが、例えば日本の官僚によって代表される体制の考え方である。それが証拠に、こんな巨大財団は、作ろうにも出来ないし、出来てからも維持できないような制度設計になっている。収支はトントンでなければならない。毎年の収入は、その年に使い切れ、などというバカな縛りのある組織に、3兆円も寄付をしようという人がいたら、お目にかかってみたい。
日本人のエトスから大分話が飛んだように感じられる方も多いかもしれないが、けっしてそうではない。時代に応じたしなやかな日本人の感覚の発現を、枠に押し込め、規制し、窒息させてきたのが、日本官僚制と言われるものだ。官僚制からの脱却というのは、だから安易な官僚バッシングをすることでもなければ、官僚の国会答弁を禁止することでもない。「民」のしなやかな発想がこれまで「官」の分野だと思われていた分野ではばたくことができるような仕掛けを担保することだ。冒頭に挙げた喜田教授は国立大学の教授、つまり公務員、官僚だ。この人にしてこの言があるのだから、日本も棄てたものではない。官僚だからといって目の敵にするのが誤りだというのは、この一事を以てしても明らかだろう。
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